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ここでは私の亡くなった父の話を少しいたします。私は今までことさらに仕事の上では父の話をしないようにしてきたように思います。父の仕事がイメージの強いものだったので、先方にある種の先入観を持たれるではないか、という考えがあったのかもしれません。
父は小川英というペンネームで仕事をしていたシナリオライター(脚本家)でした。デビューは日活アクションですが、非常に多作な人で主な仕事はTVのシリーズものでした。『太陽にほえろ!』のメインライターであった他、『遠山の金さん』『暴れん坊将軍』などの時代劇も多く、生涯本数は2000本弱だったと思います。『太陽』のころには、週に数回は真夜中に二人組の(悪者のようですね)プロデューサーの方々が自宅に見えて、延々と父と議論を戦わせていました。
(私の)子供部屋の隣室で『殺し方が違うよ。』だの『濡れ場はだめだってば。』だのを明け方までやってるわけで、プロデューサーの方は私の受験勉強が心配だったようですが、こちらは面白くて壁に耳をひっつけて聞いていたわけです。
私とは全く違う仕事です。。。ところが最近仕事をしていると、実は自分は父と似たようなことをやっているのではないかと感じることがあるのです。『脚本』とはドラマを創る上での『設計図』のようなものですから、それ自体は不思議なことではないのですが、考えると周囲の関連性がよく似ています。 |
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建築 |
テレビドラマ |
施主 |
スポンサー |
ディベロッパー |
TV局 |
PM |
プロデューサー |
設計者 |
脚本家 |
現場所長 |
監督 |
職人 |
スタッフ |
建築材料 |
キャスト |
利用者 |
視聴者 |
役者さんだけがかわいそうに『モノ』になってしまいましたが、良く対応します。
その上、PM(又は施主)と私、現場所長と私、それぞれのやりとりが濃密に熱を帯びるほどにその建築は良いものになるような気がしますし、そのあたりも先の話によく似ているのです。
父は大衆(視聴者)というものの中に映画の芸術性を見ようとした人でした。建築における芸術性というものを言うのであれば、それは建築家や歴史家の内なる世界だけからは生まれず、建築を使う人を第一義に見据える中からこそ生まれると考える私と似ているようにも思えてくるのです。 |
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